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経済危機の贈り物(2) 

Baabar.mnより

経済危機の贈り物(1)の続き

あちこちで反発しあう2つの政党間の抗争が起こり始めた。
どちらも共産党の構造・制度を持つポピュリスト政党なのだよ。
どちらも双子の兄弟だ。
政党とは政府から独立した概念だ。
共産主義政党およびヒトラーのナチ党、ムッソリーニのファシスト党、
現在で言えばプーチンの統一ロシアなどだけが、
政党を政府掌握のための武器のような機構に変質させる。
モンゴルの双子政党も全く同じモデルだ。

そもそも理論的には政党の執行部は国会の議席のために、
都県郡の党支部はそれぞれの議会の議席を確保するために、
選挙区に沿った組織構造になっているはずだ。
それぞれが違う目的を持つため独立している必要がある。
しかし現在この2つの政党は連立政権のため1つの構造になっている。
これにより、連立政権から小さなムッソリーニたちが政党を介して
谷の独裁者になる。

このため、バヤンゴル区の民主党支部長
(訳注:S.エルデネ人口開発大臣のこと)が
区の選挙に党の名前で「自分の配下」の16人の一族郎党を立候補させ、
党の名前で当選し、行政権力を振りかざして谷の独裁者になっているのだ。

こうして、その谷の党員、支持者だけでなく一般の住民は
行政の各種調達の入札から外されることを恐れて、
ハイエクが名づけたように「奴隷への道」へ入っていく。
恐怖は簡単に反感となる。
これは選挙でその党がどこでも住民どころか支持者からも
見放されて反感を買う。

党の中でデモが起こればまだましだ。
理由は長年礼讃 されてきたこの共産党の仕組みを打ち壊すことになるから。
これもまた、はしか、風疹、おたふく風邪にかかり、
熱いストーブで手をやけどする経験の道の途中で
起こることだ。

党の執行部が変わり、自由主義社会に適した新しい構造が
できたのと道は同じだ。
新しい党首は構造を変えるだろう。
こうすることで党よりも政府、社会にとって利益がある。

人は転びながら成長する。
政党も改革をして社会制度にあわせてこそ、民主主義、
自由主義社会における政治組織として成長する。
この道を進もうとしているなら、改革は政党から始めるほかにない。
何度も転んで起き上がり、何度も病気になった。
もう十分ではないか。

2001年にモンゴルのGDPは1.5%減少した。
そして当時GDPはたった10億ドルだった。
この減少による影響はほとんど見られなかった。
なぜなら、我々は1階の高さから落ちただけだから。

現在の減少は17%の成長から落ちようとしている。
経済は100億ドルに拡大したため、我々は10階から
落ちているのと同じことだ。死んでしまうほど危険なのだ。

国の予算から少なくとも1兆トゥグルク、すなわち25%の
削減を行なうのは、経済危機を脱する最初の対策だ。
それなのにたった7~8%の削減を行なっただけで、
多くのデモや反対の声が上がり、その一方で
中央銀行はたった1ヶ月の内に1.3兆の通貨を供給して
知らん顔をしている。
それならそもそも削減する必要があるのか?
そうした途端に、公務員や福祉手当依存者たちは
給与を60%上げろと言って広場に赤ん坊を連れてきてデモを行なう。

中央銀行がチンギスハーンの肖像の紙幣を印刷して
市中にばらまいていれば給与を1000%でも上げることができる。
しかし、給与による購買力が下がるだけだろう。

2007年だけで労働者の誇張した要求により1年間に
教師の給与だけでも300%も上げた。
増えた分だけさらに欲張った結果が今日の状態だ。
1兆トゥグルクの削減が必要になったと言って
公用車をやめて自転車に乗るわけが無い。
議員が自転車に乗っていて車に轢かれて死んでしまったら、
政府が出す葬儀費用は削減額の何百倍にもなるのだから。

ここからどのような結論を得るか?
このような結論を出して良いか悪いかの境目を理解する
決定権者を選択できるようになるのにモンゴル国民は
何年かかるだろうか?

転んで、痩せて、皺だらけになってこそ、
人生経験から我々は学ぶことになる。

落伍者を引き上げるのではなく、背中を押して突き落とす
必要があると言ったニーチェの哲学を初めて聞いたとき、
酷い言葉だと思ったが、実際にはそうすることが
その人を救う唯一の道であるようだ。

困って、苦しんで、反省しろ。そして同じ過ちを繰り返すな。
我々は困ってもいないし、苦しんでもいない。
だから反省もしていない。
だから以前落ちた穴に何度も繰り返し落ちているのだ。
二度と繰り返さなくなるまで反省するというのは
神様から与えられた大きな贈り物なのだ。

これはいかなる削減、いかなる巨大投資、
いかなる幸運とも比べられない大きな贈り物である。
熱いストーブで手にひどいやけどをした子供は
一生火に気をつけるようになる。
不幸中の幸いとはこのことを言う。

原文はこちら



訳:プージェー藤井

「何度も転んで起き上がり、何度も病気になった」のに、
「以前落ちた穴に何度も繰り返し落ちている」のは、
一度とことんまで痛い目に遭わないと学ばない
と言うことですね。
これまでも危なくなると周囲が助けてきましたが、
彼ら自身のためには助けないほうがよいのかもしれません。

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