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大統領が国民に意識改革を呼びかけた(3) 

前回の記事
大統領が国民に意識改革を呼びかけた(2)の続き

すばらしい母国モンゴルのため、外国を飛び回って努力することは
私にとってやりがいのある仕事だ。
しかし帰ってくると、その努力が国民に理解されないのはつらい。
外国人に自分の国の悪口を言うモンゴル人はいない。
しかし、モンゴルに信頼を置いてきた人々を失望させ、
約束した協定が破られるのを見るたびに、
私はモンゴルをそれほど褒めたこと、それを自分の義務だと
信じ込んだことが恥ずかしく思われる時がある。
だが、私は自分がモンゴル人だと言える運命を誇りに思う。
「我々は過ちを正すことができる。モンゴルは自由な国で、
欠点を隠さない国だ」
と言うたびに励まされる。

モンゴルの幸運が長いと私は信じている。
なぜならモンゴルが歩む道は、誰か悪者あるいは
善人の歩む道よりも遥かに長い。
誰かの悪事は教訓になり、善行は模範となって残る。
私のモンゴルは我が子孫のもの。我々の後の世代に残る。
これから生まれてくる何万ものモンゴル人のものだ。
だから、我々は自分に与えられたそれぞれの責任を担い、
やるべきことをやっていけばいい。
言うべきことはその時にはっきり言って、
やるべきことはその時に成し遂げて、犯した過ちを改め、
決定をその時に出して進む必要がある。
すべてに拍手してもらえるほどうまくはいかないし、
拍手されたすべてが正しいわけでもない。

遠くから客観的に見ている者にとって、
問題の解決策は両刃の剣のように見えるかもしれない。
一つの頭(トルゴイ)について例を挙げるなら、
オユトルゴイ鉱山の採掘に関しては、正しい選択、正しくない選択
というものはなかった。
もしあったら、当然正しい方を選んでいた。
投資契約にしても上手に結ぶ、下手に結ぶということはなかった。
当時の時代、環境、状況において契約者がどこまで譲歩できるか
できないかという問題だった。
投資家にとってもモンゴルに多数の選択肢はなかった。
時間の無駄や延長も許されなかった。

これらすべてを誠心と忠実な行動で乗り越えたからこそ
「我々モンゴルは一歩進んだ」と私は言った。
歴史上において、進んだ時計は戻すことができない。
「もしそうだったら」と書いて変えることも不可能だ。
人々の頭脳の判断、意識の範囲と国の歴史的出来事は
まったく別の違うことだ。
個人の英雄的な戦い、批判の裏には名言の通り「個人的な利益」
が隠されているが、国の場合には国民の利益がある。

良い投資家、悪い投資家というものはない。ただ投資家がいる。
だが、モンゴルにとって第3隣国の投資家という普及した概念がある。
私はこの政策がどんな時代でも受け継がれていくべきだと考える。
また、投資額の多い、少ないは問題ではない。
むしろ、投資家からモンゴルに残る、送る資金が多いほど良い。
モンゴルに多額を投資するというのはモンゴル人、モンゴルの経営者、
モンゴル国のためになる。
資金を送ろうとしている投資家が金額を減らそうとしていないのに、
投資を受けようとしている我々が口を挟んでどうする。

国家、社会のためにと勇気を振り絞り、真冬にデールを着て家を飛び出し、
民主化運動に身を投じてから四半世紀が経った。
私はこの間、たった1つのことが真実であることを思い知った。
それは「経済はきれいごとには騙されない」ということだ。
選挙の公約、紙の上の嘘の決算書、会議での虚実織り交ぜた討論、
テレビ放送、それらのいずれにも騙されないのが経済なのだ。
経済の浮き沈みは資本、労働もしくは行なった成果によって測定される。
被害が出れば、そのツケは貧乏人にも金持ちにも確実に回ってくる。
これまで会議、テレビ、ラジオ、新聞でモンゴル人同士が行なってきた
足の引っ張り合いのツケである数兆トゥグルクを、
今全てのモンゴル人が支払っている。
失った時間、実現しなかったプロジェクト、流出してしまった外貨すべてが、
我々ひとりひとりの背中にツケとしてのしかかっているのだ。

モンゴル人は給与、年金、収入の減収によってそのツケを払っている。
生活水準が低下し、失業し、社会への不満を言いながら、
あるものをかき集め、無いときは借金をして支払っている。
モンゴル国の通貨の価値が下がり、資産をかき集めて支払っている。
以前はまとめ買いしていた肉、小麦、パン、油の量を半分にして支払っている。
買えない人は食事抜きで、暖房の石炭も使わずに夜を過ごして支払っている。
妻や子に買う服も減らして支払っている。
このようなツケを扇動者を満足させながら支払っている。

さらに言えば、嘘を言って他人の資金を投資させることはできないのだ。
他人の信頼を裏切ったら回復することはないのだ。
これまでのツケを全て支払った上で、我々はこれらの問題を乗り越えるのだ。
これまでの数年間の経緯、混乱、後退から得た私の教訓はこれだ。
開かれた社会での生活は、学習の過程だというのは真実だ。
しかし授業料を国民皆で支払うのもまた真実だ。
本来なら我々は一部の授業料は支払わなくても良かったはずなのだが。

(大統領が国民に意識改革を呼びかけた4に続く)

原文はこちら

訳:セレンゲ



「頭の苦悩」には、
・頭が操られることの苦悩
・オユトルゴイの苦悩(モンゴル語でトルゴイは頭)
の他に
・大統領の苦悩(大統領は国のかしらですから)
という意味も引っ掛けてあると見ました。

それが本記事冒頭の
大統領の苦悩の告白に繋がっているのですね。

(プージェー藤井)


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